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マスターズの栄冠に輝いた松山英樹の経歴は?プライベートやエピソードまとめ

2021年4月、日本人初のマスターズチャンピオンとして、日本のゴルフの歴史に名前を刻んだ松山英樹プロ。コロナ禍で苦しむ人々に大きな喜びをもたらしました。この記事では、松山英樹プロのこれまでの歩み、マスターズに優勝できた理由、クラブへのこだわりなどについてくわしくご紹介していきたいと思います。ぜひ最後までお読みください。

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これまで63年間、多くの日本人プロゴルファーがチャレンジしてきたマスターズトーナメントに、日本人初、アジア人初のチャンピオンとなった松山英樹。ウイニングパットを沈めたとき日本中が湧きたち、ゴルフ関係者は喜びの涙を流しましたね。この記事では、歴史的な快挙を成し遂げた松山英樹プロについて、世界のトッププロへ飛躍した栄光への道のりをたどりながら、同い年のライバルや気になるプライベートについて調べてみました。

松山英樹のマスターズ優勝までの経歴は?

史上初のマスターズ優勝を果たした松山英樹は若干29歳です。40代、50代でも活躍するプロが大勢いるゴルフではまだまだ若い年齢と言えるでしょう。そんな松山プロはいつからゴルフをはじめていつ頃から頭角を現したのか、同い年のライバル、そして気になるプライベートについて調べました。

1.父の影響でゴルフをスタート。小4でキャディに!?

松山英樹は、1992年2月25日四国の愛媛県松山市出身。家族は両親と姉・妹がいます。父・幹男さんの影響で4歳からゴルフを始めました。お父さんは日本アマチュア選手権に出場するほどの実力派で、ハンデは「0」だそうです。練習場でお父さんが練習するのを見て自分もやりたいと、お父さんの9番アイアンを短くしたクラブをもらって、ボールを打つようになったのが最初でした。子どものころは、よくゴルフ場に連れて行かれお父さんがプレーをしている間、ずっとサンドウェッジで遊びながら練習をしていたそうです。小学4年の時には、お父さんが出場した「中四国オープン」でキャディを務めています。その後、地元の中学校に進みましたが、明徳の高橋章夫監督からの勧めもあって、中学2年のときにゴルフ部がある高知県の明徳義塾中学に転校しました。

2.東日本大震災とマスターズ招待

石川遼プロとは同い歳で、中学1年のときに初めて一緒に回ったそうです。松山プロにとって衝撃的な出会いでしたが、このときのことは石川プロは記憶にないと話しています。中学3年の時に再び同じ組になり、その大会では石川が優勝しました。そして2か月後、一緒に回っていた同学年の石川が史上最年少の15歳でプロツアー優勝。「ハニカミ王子」として一躍スターになりました。優勝の話を聞いた松山は、すごいと思うと同時に負けてはいられないと強く心に刻んだといいます。
明徳義塾高校に進んだ松山は、2008年に全国高等学校ゴルフ選手権大会で優勝し、日本ゴルフ協会(JGA)のナショナルチームにも選ばれています。高校卒業後、プロになることを考えていましたが、東北福祉大の阿部靖彦監督が実家の愛媛まで訪問するほど熱心に勧誘、2010年東北福祉大学に進学しました。東北福祉大のゴルフ部といえば、宮里優作、池田勇太など多くの有名プロゴルファーを送り出している名門校です。
大学1年で「アジア・アマチュア選手権」で優勝し、翌年のマスターズに招待を受けます。しかし、マスターズ開催の1か月前に東日本大震災が発生。震災時はオーストラリアでゴルフ部の合宿中でしたが、帰国して大学のあった仙台の惨劇を目の当たりにし大きなショックを受けました。当時19歳だった松山は、こんな大変な時にマスターズに出場していいのか、とオーガスタに入ってからも悩みました。ですが、両親やゴルフ部の仲間など周囲の後押しもあり、いいプレーを見せることで恩返しをしたいと強く思ったそうです。そして初出場で60台を叩き出し27位に入り、日本人初のローアマチュアに。その年の国内ツアー「三井住友VISA太平洋マスターズ」では、倉本昌弘、石川遼に続く3人目のアマチュアでのツアー優勝を果たしました。

3.プロ転向後の好成績を残した大会

2013年にプロ転向し、プロとして2戦目のつるやオープンで優勝、これはツアー最短記録です。その後3勝しツアー初のルーキー年で賞金王に輝きました。2014年3月に東北福祉大学を卒業、主戦場をアメリカPGAツアーに移し、「ザ・メモリアルトーナメント」で初優勝しました。日本人選手の米ツアー制覇は、青木功、丸山茂樹、今田竜二に次いで6年ぶり4人目で、22歳の松山は最年少での優勝です。2015年春にはフロリダのオーランドに自宅を購入し、アメリカ転戦の拠点としています。マキロイ、タイガー、石川遼もこの近くに自宅があるそうです。2016年「WMフェニックスオープン」で2勝目を果たし、「日本オープン」で国内メジャー初制覇。2週間後の米ツアー「WGC HSBCチャンピオンズ」で日本人で初めて世界選手権に優勝するなど快進撃が続きます。
プライベートでは2017年1月に結婚、7月に第1子となる女の子が誕生しています。結婚相手は大学ゴルフ部の後輩で、10年間の交際期間を経て結婚に至ったそうです。その年「WMフェニックスオープン」を連覇し、「WGCブリヂストン招待」で世界選手権2勝目を果たしました。2018年の「全米プロゴルフ選手権」では、最終日の後半に首位に立ち、ついにメジャーを制するか思われましたが、同組のジャスティン・トーマスに逆転を許し5位に終わり涙をのむことに。それ以降は特に目立った成績はなく、松山はスランプと言われてきました。そんな松山が久しぶりの復活を果たしたのが、2021年の「マスターズ」でした。

松山英樹はなぜマスターズで優勝できたのか?

松山プロが初めてマスターズに招待された10年前の写真と、今年の写真を比べてみると、明らかに体形が違っているのに驚きます。体重は20kg増えて、身体の厚みと太ももの太さに圧倒されます。松山プロの2020年のヘッドスピードは52.35m/sで、PGAツアーでは46位、ドライバーの平均飛距離は304ヤードで34位です。タフなアメリカPGAツアーの屈強なプロたちに交じって戦っていくため、毎年オフにはハードな肉体改造に取り組み、その結果として安定したスイングとゆるみのないパッティングの土台ができていきました。ショットメーカーとして注目が集まる松山プロですが、得意クラブについてはパターとコメントしています。強靭な下半身を作ることで、パッティングにも肉体改造の効果は現れていましたが、調子が悪いときのメンタルマネージメントに課題がありました。彼は感覚を大切にする職人肌で、自分を追い込むタイプです。ここ数年勝てなくなったこともあって、方向性を模索していました。
これまで一度もコーチをつけることがなかったのですが、今年になって初めてコーチを招くことにしました。それが目澤秀憲コーチです。目澤コーチはデータを見ながら選手と話し合いをし、選手と一緒にアイディアを出していくコーチです。松山プロのスイングもコーチの指導によって、以前よりもわずかにフラットなスイング軌道になり、そのことによってアイアンショットの安定にさらに磨きがかかることになりました。また、課題であったメンタルマネージメントの面でも、一緒に課題を話し合えるコーチの存在は大きかったようで、マスターズでは笑顔が多く見られました。ミスを引きずらず、大きな気持ちでプレーしたのがいい結果につながったようです。

松山英樹のクラブへのこだわり

クラブに対するこだわりが強いプロゴルファーの世界の中でも松山英樹プロの道具に対する独特の感性は、クラブの調整にも強く現れているようです。特にヘッドの形状、向き、シャフトの入り方など、アドレスした時の見え方はかなり気にするようで、メーカーの担当者には髪の毛数本分の違いで調整をリクエストするとのこと。ウェッジの削り方にも、細かなリクエストがあり、いろいろ試しながら一番フィットするものを探っていきました。試行錯誤して調整し、溝がフレッシュなウェッジをマスターズ2週間前に投入し、しっかり馴染ませて試合に臨みました。
マスターズでは、パターを2週間前にスコッティキャメロン ニューポート2 プロトタイプに変更し、グリップをラムキンの太いフルコードグリップを使用したことも話題になりました。これも彼の感性から導き出された選択なのでしょう。フルコードグリップのほうが、手の感触がよかったようです。クラブの調整については、目澤コーチがついてからは変化がありました。コーチとの対話によってスイングのイメージが明確になったためクラブに対するリクエストも具体的でわかりやすくなったそうです。松山プロと、彼を支えるクラブメーカーやコーチなどのチームスタッフが一丸となって勝ち取ったマスターズの優勝だったといえるでしょう。

松山英樹のスポンサー&契約企業は?


世界のトップアスリートとなった松山英樹プロ。そんな彼には有名企業がこぞってスポンサーとなり、活動を支援しています。ここでは、松山英樹プロをサポートするスポンサー企業を紹介しましょう。

■レクサス(トヨタ) 所属契約
2014年からレクサス(トヨタ)と3年間の所属契約を交わし、さらに2017年から5年の大型契約を結んでいます。松山プロのウェアには必ずレクサスのロゴが目立つところについています。松山プロの移動にはレクサスの車が提供されています。

■ダンロップ(スリクソン) 用具契約
ジュニア時代からスリクソンを愛用している松山プロ。プロ転向後もずっと使い続けています。マスターズ優勝で、松山プロが使うスリクソンのクラブやボールが品薄になるほど売れたそうです。

■オークリージャパン アイウェア契約
紫外線の強いゴルフ場では、目を保護するためにサングラスは必需品。松山プロも、オークリーのサングラスはカッコいいと、お気に入りのようです。

■ファイテン アドバイザリー契約
健康用品などを製造販売しているファイテンとアドバイザリー契約をしています。松山プロは、5本指のソックスにこだわりを持っていて、そのソックスを提供しているのがファイテンです。その他、ブレスレットやネックレス、チタンテープなどを使っています。

■全日空(ANA) スポンサー契約
松山プロの空の移動は全日空でサポートしています。ちなみに、ライバルといわれた石川遼プロも全日空と契約しています。

■ロレックス スポンサー契約
世界的な時計メーカーのロレックスとスポンサー契約をしています。ロレックスは世界ランキング上位の選手とほとんど契約をしている会社です。日本のアスリートとスポンサー契約を結ぶのは松山プロが初めてです。

その他にも、下記のような有名企業が松山プロのスポンサーとして契約しています。
「興和株式会社」「野村ホールディングス」「西川産業」「インディードジャパン」
そして、2021年5月には「NTTデータ」との新たなスポンサー契約が発表されました。

松山英樹の2021年の今後の予定


マスターズ優勝の後、すぐさま日本に帰国しました。毎年マスターズのあとは日本でしばしの休暇を取っています。総理大臣顕彰等、様々なお祝いのイベントがあったようですが、休暇明けの5月13日「AT&Tバイロン・ネルソン」から久しぶりにトーナメントに復帰します。その翌週からは「全米プロゴルフ選手権」と続きます。6月17日からの「全米オープン」、7月15日からの「全英オープン」とメジャー大会がありますが今年は昨年延期されたオリンピックが注目されます。
男子ゴルフの日程は、7月29日から8月1日まで。日本選手としてはゴルフは男女ともに6月末の世界ランキングを基に、同時点での上位2人が五輪代表に決定します。おそらく松山プロは出場権が得られるでしょう。残りのメジャー大会と併せて、オリンピックの舞台でも活躍してくれることを願うばかりですね。

松山英樹のまとめ

マスターズ優勝の瞬間、テレビ中継で中嶋プロが流した涙が象徴するように、この日が来ることを、すべてのゴルフ関係者が長い間待ち望んでいました。日本ゴルフ界の悲願であった日本人ゴルファーによるメジャーでの勝利を成し遂げた松山英樹プロの名前は永遠に語り継がれることでしょう。彼は、29歳と若く、年齢的にもこれからまだまだ成長できると思われます。今後も活躍を続け、できれば他のメジャー大会でも優勝し、いつの日かグランドスラムを達成してほしいと願っています。そんな夢のようなことも、松山プロであれば実現してくれるような気がしますね。これからの活躍も応援しています。

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